「旅がしたい」
そう思い立った時、この島に、そして小学6年生の私に呼ばれた気がしました。
森はどこまでも深く、様々な緑の世界が広がります。
苔むした石を伝って沢を登り、地面に張った木の根の上を歩き、あちこちから聞こえる鳥や虫の声に耳を傾けながら、次々に現れる巨大な屋久杉に何度も足を止めて見入ってしまいました。
木肌にそっと手をやるとしっとりと潤っていて、ゴツゴツとした見た目とは裏腹に仏様のような柔らかさが感じられ、「あぁ、今私は屋久島にいるんだ」と喜びを噛み締めていました。
そう、私はやっと屋久島に行くことができました。
小学6年生の国語の授業で「屋久島の杉の木」という川崎洋氏の詩を教科書で読んだ時から「いつか行きたい」と思っていた島に。
就学前だったか家族で訪れた「なら・シルクロード博覧会」で成人男女の人骨を見たとき、私は母に「これなぁに?」と尋ねました。
すると母は「これは人の骨でお父さんもお母さんも聖子もみんないずれこうなるのよ」と教えてくれたのですが、それまで「死」という概念がなかった私は「こうなるってどういうこと?」「誰かわからない姿になるってこと?」「みんなでお出かけしたりご飯を食べたりできないってこと?」「こんなガラスのケースに寝かされるってこと?」と理解できずにただひたすら泣き続けて親を困らせた記憶があります。
それからも生死について有耶無耶のまま過ごし、この詩を目にした時の衝撃はとても大きく、小学校卒業までの間何度もこのページを開いては屋久島の杉の木に夢を描いていました。
屋久島の杉の木 川崎 洋
きみはいくつ?
きみの父さんは いくつ?
きみのおばあさんは いくつ?
おれたち屋久島の杉の木は
1000歳で やっと一人前
7200歳だって いるぞ
かみなりに うたれて
ぼきりと折れて倒れても
木に あぶらが
ぎっちりと詰まっているから
腐らない
折れたところに
杉の種が落ちて 芽が出て
また
何千年も生きるのだ
きみはいくつ?
きみの父さんは いくつ?
きみのおばあさんは いくつ?
おれたち屋久島の杉の木は
1000歳で やっと一人前
7200歳だって いるぞ
かみなりに うたれて
ぼきりと折れて倒れても
木に あぶらが
ぎっちりと詰まっているから
腐らない
折れたところに
杉の種が落ちて 芽が出て
また
何千年も生きるのだ
そびえ立つ屋久島杉は圧倒的な迫力があり、その凛とした佇まいやどっしりと構える姿をじ〜〜っと見ていると、全てを受け入れ、全てを許し、全てを包み込んできたんだと感じられるものがあり、歩みを進めるとその生命力満ちた森に飲み込まれてしまいそうな気分になりました。
台風が過ぎた後で倒木がいくつも横たわっていましたが、降り注ぐ木漏れ日の下で苔に覆われ、やがて苗床となって屋久島の森の新たな「いしずえ」になるのかな〜なんて思っていると、向こうの木の陰から幼い頃の私が顔を出し、こちらを見て笑っているような気がしました。
屋久島で過ごした数日、そこには様々な非日常の光景があって、感じることがあり、気づくことがあり、学ぶことがあり・・・
写真に収めたものや心に留めたものも含めて、また少しずつお伝えできればと思います。
さて、話はカービングに変わりまして、先日お母様のお誕生日の贈り物にとスイカのカービングのご依頼を頂きました。
デザインはお任せ頂いたので秋の装いで仕上げてみました。
旬を迎えたりんごのモチーフをスイカに描き、左下には手を伸ばすうさぎさん♪
そしてもちろん本物のりんごにもカービングをしました。
細かいデザインで少々苦戦しましたが、黒皮小玉の色を生かすことができ、2つのりんごとのコントラストも楽しんでいただけるものになりました。
この度はご注文頂きましてありがとうございました♪